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碁はおおらかにこそ  伊澤6058






<筆者紹介  金子7874>
伊澤6058さんは、杉並三田会の会員ですが、立川三田会の囲碁の集まりにも顔を出してくださっています。
囲碁は、以前からご存知でしたが、最近特に余暇としていそしんでおられるようです。
読書もご趣味で、中国の古典やモームなども全集をお読みのです。
健脚で、山歩きも月に何度もお出かけになっているとのこと。
ドイツ人ロベルトさん来日の折も、市ヶ谷、鎌倉、箱根と皆勤賞でした。


碁はおおらかにこそ  伊澤6058

「けちな人」とは、とアリストテレスは言う。
財貨が手に入る場合にはいつでも、しかるべき以上に喜ぶが
手放すさいにはいつでも、しかるべき以上に苦痛を感ずる者、のことである。
この「けちな人」にもいろいろな種類があって、
「しまり屋」は握ったら放さないし、
「がめつい奴」は何でも懐に入れたがり、
また「しみったれ」は、わずかな金額にもひどく興奮するのである。


碁に例えれば、
しまり屋の碁は、自分の石は絶対取られまいとしてどこまでも逃げ惑い、
相手にどんなに大きな地が出来ようがお構いなし。
結果、目2つで活きでもすればほっとして、全体を見る余裕もない。

がめつい碁は、地はしっかり確保したい、中央も自分のものにしたい、
相手の地が出来そうになると許す事が出来ず飛び込んで行く、
とまるで黒地も白地も碁盤までも、全部自分の物のように振舞う。

しみったれの碁は、カス石の一つも取られると、
勝敗が決するかのように愕然として復讐心に燃え、
相手の石(これもカス石)を取って気分も収まるが、
すでに大勢はどうころんでも勝ち目はない。
またアリストテレスは、こんなことも言っている。
「銭勘定のできない人」とは、勘定する面倒に耐えられない、
という点でルーズな人である。

これも、「計算のできない人」とは、
計算の面倒に耐えられない人、となるのかな。

ではまとめ:
いろいろ分かってはいるのですが。。。。


※(出典)アリストテレス「エウデモス倫理学」 加来彰俊訳
 
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